2013/02/13(水)求む助言:病院から、患者が昏倒した正確な状況を聞き出す方法

【求む助言】:認知症他の症状でA精神病院に入院していた高齢男性が、一時帰宅から病院に戻った翌朝、病院内で意識を失って倒れ、B脳外科病院に搬送されました。A精神病院は、倒れた時の状況の情報を開示しないため、B脳外科で適切な処置が受けられないまま意識が戻りません。どうしたら良いでしょうか。

男性の肉親に、A精神病院に経緯を明らかにしてもらうよう以下のような質問をリストして持たせました。また、質問へのA精神病院側の回答も、分ってる範囲で載せました。これから今分っている状況が読み取れると思います。
12日の朝、「患者男性」が「倒れて頭を打ち、意識を失っていた」ということで、B脳外科病院に搬送されましたが、その経緯について詳しくお伺いさせてください。

1.薬の処方について
一週間前の(一時帰宅した)週末と、倒れる直前の(再び一時帰宅した)週末とでは、「患者男性」のふらつき度合いが異なるので、「睡眠薬を変えたり、増やしたりしてないか」についてお伺いしたところ、薬の量を変えたとのお答えを頂戴しています。具体的に、2月1日頃の全ての薬の処方と、2月8日頃の全ての薬の処方について、教えてください。

2.「患者男性」のふらつきについて
「患者男性の妻」は、2月9~11日の一時帰宅時に、夜中から午前中10時頃までの「患者男性」の異様な「ふらつき」に不安をいだき、連絡帳にてその旨ご連絡さしあげています。また、看護師の方に口頭でも、その事を訴えた所、「ふらつきが酷いので看護に気を遣う」旨の返答を頂いています。しかしながら、担当医の方からは「ふらつき」については知らないとの旨口頭でお知らせいただいています。「ふらつき」について、どなたまではエスカレーションされ、どの方からどの方への時点で連絡がなされてなかったのか、教えてください。

3.睡眠薬の処方について
2月11日の夜21時ごろ、電話にて、「ふらつきが酷いので睡眠薬を処方しないで欲しいとお願いしてるにもかかわらず、今週末の様子を見ると睡眠薬が処方されてるように思う。睡眠薬の処方を止めてほしい」との連絡を差し上げました。電話を受けた方は看護師の方でした。しかしながら、睡眠薬の話は担当医にも当直医にも伝えられてないとのことを聞きました。「睡眠薬の処方を止めてほしい」との連絡は、どなたまではエスカレーションされ、どの方からどの方への時点で連絡がなされてなかったのか、教えてください。

4.倒れていた時の様子、対応について
「患者男性」が倒れていたのが発見された時、仰向きに倒れていたと聞いています。また、B脳外科病院への搬送理由は、「倒れて頭を打ち、意識を失っていた」と聞いています。具体的にどんな場所で、どのように倒れていたのでしょうか。また、頭を打って意識を失ったことを、どのような所見から診断されたのでしょうか。
⇒回答:頭を打ったかどうかもわからない。(搬送時の説明と異なる回答)仰向きに倒れていたことだけは確か。

5.脳挫傷の場所について
B脳外科病院での診察で、「患者男性」は、(頭の前方やや右寄りを)に軽い脳挫傷を(病院に戻った10日夕方~11日の間に)受けていたことがわかりました。しかしながら、A精神病院病院の方では、その位置に挫傷があることをご存知なかったとのことです。A精神病院病院では、頭のどこを打ったと診察されていたのでしょうか。(仰向けに倒れ、頭を打って意識を失ったという説明と完全に矛盾している)
⇒回答:頭を打ったかどうかもわからない。脳梗塞の既往症があるので、その疑いを持った。(搬送時の説明と異なる回答)

6.痙攣等について
B脳外科病院の診察では、意識を失っている原因は、脳挫傷ではない可能性が高いとの所見で、倒れた時に、(癲癇などによる)痙攣発作などを起こしていなかったかと尋ねられています。
倒れている「患者男性」が発見された時、そのような症状はなかったのでしょうか?
⇒回答:わからない

7.倒れてから発見まで
「患者男性」のいたベッドの下のマットは、足を降ろすと、ナースセンターでコールが鳴る仕組みだと聞きます。「患者男性」が降りて、コールが鳴り始めたその時には、ナースセンターには誰もいなかったために、すぐには気づかれなかったとのお話をいただいています。倒れたと推測される時期から、発見されるまでの時間は、最小どれぐらい、最大でどれぐらいですか?また、どのような経緯で、「患者男性」が倒れている事を、どなたが発見されたのか教えて下さい。
⇒回答:倒れたのは朝5時55分頃と推測されている。救急搬送したのは7時頃、その間1時間は《経過観察していた》。(脳梗塞の疑いを持ちながら、それに対する何の処置もすることなく放置していたということらしい)

8.診療報告書について
B脳外科病院への搬送に際して、B脳外科病院に診療報告がなされていませんでした。これは通常の搬送手続きなのでしょうか。また、B脳外科病院で問われて、A精神病院病院に投薬中の薬を受取に参りましたが、薬は当日処方する予定だったので薬はないとのお話で、投薬情報をいただきました。しかし、処方予定の日であったなら、朝食時の薬は既に準備されていたはずです。その薬はどうなったのでしょうか?
補足:患者男性はB脳外科病院にてCTをとって、意識を失っている原因は、脳挫傷でないこと(、また脳梗塞ではないこと、)が分っています。家族は積極的な治療を望んでいないので、開頭手術したりする選択肢はとられません。

現在の所、患者男性の意識は戻っていません。また、原因が分らないので、その処置方法も確定していません。

A精神病院は倒れた状況について、明らかに何かを隠しているとしか思えない対応ですが、処置に必要な情報を引き出す手だてはないでしょうか?あるいは、患者男性が倒れた理由について、何か仮説とその検証方法はあるでしょうか?

twitterで@akof宛てメンション頂くか、Facebookの http://www.facebook.com/home.php#!/ako.fujiwaka/posts/457412654324112 にコメントいただけると助かります。

2月14日追記:倒れてるのを発見してから搬送までの空白の1時間について、A病院からは相変わらず辻褄の合わない矛盾した回答しか来ません。
ですが、一方、患者男性の意識障害はJCSⅢからⅡのレベルまで回復し、A病院から情報開示されなくとも、なんとかなりそうな進展になってきました。コメント、助言を頂いた方には御礼申し上げます。

2012/10/02(火)「考えを改める」条件

虐めにしても、子供の虐待にしても、大抵やってる方は正しいことをしていると信じていて、それは信念や宗教に近い。そしてそれを改宗させるのは難しく、刑罰ぐらいでは変わることはまずない。何故なら、強いて改心させるのは、自己否定あるいは精神的自殺を強要することに他ならないから。

「痛い目に遭えば考え方を変える」という事が起こるのは実は稀なことだ。痛い結果を引き起こさない防衛策として、最もコストが低く確実なのが「考え方を変えることだ」と自身で納得できる場合以外にはその選択をとらないからだ。例えば多くの人は、「自分の考え方を改める」より「やり方を変えずに、かつ見咎められないようにする」方がコストが低いと直感的に判断してしまう。勿論、もっとコストが低いと思う選択肢を自身え見出した人はそれを選ぶが。

手に持っていた重い物を、自分の足の上で手を離して、果たしてその重い物が足の上に落ちて「痛い目」に遭った場合。自分のした事と、痛い事の因果関係は極めて直結的で、他に介在するものがない。そのような場合には、人は自身が悪かったことを認め「もう二度と自身の足の上で持った物の手を離さないようにしよう」と考えるだろう。

ところが、手に持っていた重い物を、他人に手渡そうとして、渡すべき手が近づく前に自分の足の上で手を離して、果たしてその重い物が足の上に落ちて「痛い目」に遭った場合。自分のした事と、痛い事の因果関係の間に、他人の行為が介在する。そのような場合には、人は自身が悪かったとは往々にして認めることはできず、「受け取るべきその人が悪い」と考える。そして、「次はしっかり受け取れ」と他人に転嫁してしまう。

「(たとえ「義」があっても)他人に暴行を加えたら、刑罰を受ける」は、因果関係だが、自身の暴行と受ける罰とは直結していない。「暴行を知られる」「義を認めてもらえない」「捜査を受ける」「裁判を受ける」等々多くの介在事項がある。そのような多数の介在事項がある場合、人は、自身の考え、行動原理の過ちを認めて変えることより、介在する何かに原因を求め、その「原因」を排除できさえすれば、「痛い目」対策はできると考える。

ここで留意すべきことが一つある。「痛い目」の度合いが大きくなっても(刑罰がより重くなっても)、何が「原因」として選ばられるかにはさほど影響しないのだ。虐めや子供の虐待に対する刑罰を重くしても、それをする人は自身の考えや行動原理を改める方向にはあまり向かない。

虐めや虐待を見つけ次第、立件し、重罰を与えるようにすれば、恐らく虐めや虐待は「減る」だろう。しかし、それは「認知されなくなった」だけだ。重罰を避けるために選択されるのは、「正義の鉄拳」や「躾」を止めることではなく、見咎められなくすることだからだ。

2012/04/13(金)リモコンのデザイン

カメラのイラスト.JPG

67個のボタン、継ぎ足されて、さらに25個のボタン。合計92個のボタン。

別に、飛行機を飛ばしたいわけではない。
単に、テレビ番組を録画したいだけである……。
「ガラパゴスリモコン」が示す日本のもの作りの限界~リモコンで飛行機でも飛ばしたいの?~
という記事に触発されて。

思考実験の題材として、昔の一眼レフカメラを遠隔操作できるようにするリモコンを考えてみよう。

まず、
  • 1.レンズキャップの付け外しボタンが要る。
(こら、笑うな!)
  • 2.フィルム換装ボタン
  • 3.フィルム開始位置までの巻上げボタン、フィルム送りボタン、フィルム最終巻取りボタン
  • 4.照度計(照度計の位置・方向設定)
  • 5.フラッシュバルブ換装ボタン
  • 6.レンズ選択換装ボタン
  • 7.絞り設定
  • 8.シャッター速度設定
  • 9.焦点設定
  • 10.フレーミング設定系(ズーム設定+カメラの向き(上下左右))
  • 11.カメラ位置設定(上下、左右、前後)
それと最後に
  • 12.シャッターボタン
である。

一応、ユーザに、要求を聞いてみよう。
「遠隔操作できるカメラを作ろうとしてるのですが、カメラに何を望みますか?」
『綺麗に写せるカメラだったら何でもいいよ』
「え?それだけですか?」
『え?それ以外に何か要るんでしょうか?』
「要求仕様は“綺麗に写せるカメラ”ですか」
『ええ、“綺麗に写せるカメラ”です』
困った。要求はシンプルなのに、設計してるリモコンは超複雑だ。これでは使ってもらえそうにもない。

ところで、現在の高性能コンパクトデジタルカメラを遠隔操作しようとしたらどうなるだろうか。
  • 1.レンズキャップ付け外しボタンは要らない。代わりに電源ON/OFF(レンズカバーの開閉連動)操作のボタンを検討しなければいけないが、リモコンにタッチセンサーを付けるなどして操作不要にすることはできる。
  • 2.3.フィルム操作系は一切要らない。撮った映像データはサーバ等に自動転送することもできる。
  • 4.照度測定-絞り設定は自動化できる
  • 5.フラッシュ設定も自動化できる
  • 6.レンズは換装しない
  • 7.絞り設定も自動化できる
  • 8.シャッター速度設定も自動化できる
  • 9.焦点設定も自動化できる
  • 10.フレーミング設定系(ズーム設定+カメラの向き(上下左右))は要望があれば付ける。(省略する考え方もある)①
  • 11.カメラ位置設定(上下、左右、前後)は要望があれば付ける。(省略する考え方もある)②
  • 12.シャッターボタンは要望があれば付ける。(省略する考え方もある)③
ユーザに要望を聞くのも簡単だ
「カメラの向きや、ズームをコントロールしたいですか?」
「カメラの位置を動かしたいですか」
「シャッター切って静止画を撮りたいですか?それとも動画で撮りっぱなしがいいですか?」
ユーザが、それは一体何のこと?そんなことやって「綺麗に撮る」ことに意味あるの?(あとから要る所だけ切り出せば良いでしょ)と言えば、これらの操作系は要らない。

カメラでどういうものを撮りたいかがはっきりしていて、自分で操作したいという「写真のことを良く知っている(カメラに詳しいではない)」ユーザ向けでも操作は①~③までのわずか3つしか要らない。カメラの操作をこんなにシンプルにしたのは、カメラの技術が使いやすいよう進化したからだ。


リモコンの操作ボタンが少なくできるかどうかは、単にユーザデザインの問題だけではなく、ユーザの要望を如何に汲み取り実現できるかというシステム全体の問題でもあろう。

2012/03/27(火)名誉毀損喧伝を助長するシステム

話題の発端は
ある男性が、グーグルで自分の名前を打ち込むと、身に覚えのない犯罪行為を連想させる単語がサジェスト機能によって表示されるというのです。

男性は職場にいられなくなり、退職に追い込まれ、その後も採用を断られたりすることが続いているということです。
グーグル検索“人権侵害”の波紋
の話。
私は
サイト側のほうが悪いので、サイトを訴え続けるほうが正しいと思う。サジェストを消したところで被害者は救済されないので、あまり意味がないのでは・・・。
http://b.hatena.ne.jp/kensuu/20120325#bookmark-86755877

男性はグーグルに表示を止めるよう申し入れましたが、受け入れられなかったということで、男性は去年10月、東京地方裁判所に表示の削除を求める仮処分を申請しました。
そして、裁判所はこの申請を認め、表示の削除を命じる決定を出したのです。
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/0326.html
で済ますでなく、グーグルもその構造を変えるべきではないかと思う

が、その方向性が未だ見出せない。
http://twitter.com/akof/status/184500917557661696
というツイッターでの呟きまでが私の前フリ。


小飼 弾さんも、
そろそろGoogleは、みずからに科したこの呪文を発展的に解消すべきなのではないか。
不都合な検索結果 - I'm feeling unlucky
と言うに留まり、具体的な解決方向までは示せていない様子。

ここでは、問題の構造を整理しなおしておくことにしよう。

ウィキペディアにしてもはてなキーワードにしても、グーグルサジェスチョンにしても類似する構造と論理があって、かつては
「自組織」が編集したのではなく、不特定多数の手によって創られるコンテンツが集積されてるだけだから、そこに名誉毀損的内容が現れても自組織の責任ではない
という立場でいられた。

しかし、自動集積の特性を知って、
不特定多数になりすませば、特定の名誉毀損的内容を意図どおりにシステムに掲載させられる
という事実が知られてしまい、その自動集積ツール自体を名用毀損的内容の喧伝ツールとして使われるようになれば、「名誉毀損的内容とシステムとは無関係」という主張はもはや通じないようになると考えてよいだろう。

既にウィキペディアは「名誉毀損的内容」が掲載されにくいよう、改善を試みている(相当に人海戦術的ではあるようだが、一定成果は挙げていて、責任回避はできる程度に見える)

はてなとグーグルは今のところ知らぬ存ぜぬを通すつもりらしい。
この先、会社の決算に影響しかねないほどの高額賠償の敗訴を食らうのが先か、自身を改める方向を見出すのが先か、私は注目したい。

2012/03/21(水)割れ窓と笑い

割れ窓理論はちょっと・・。元論文読んだ?実際の治安に変化はないが、市民が、治安が「良くなったと感じる」からホームレスを排除しよう。っていう論文だぜ、あれ。
http://twitter.com/IZUMI162i6/status/182318701851320320
意識の上で「割れ窓」の存在を考え、それの対処を考えてる人が、注目している「割れ窓」そのものの価値を否定する話をされると、不愉快に感じるだろう。人によっては激怒するし、不謹慎だと非難する人もあるだろう。いずれにしても、それまでの視点を変えて、違う価値観での考え方に取り組む人は極めて少ないだろう。
  • 人を居なくする
  • 窓をなくす
  • 窓を(投石等が)届かないようにする
  • 窓を割った者の追跡性を100%にする
  • 窓を割れない材質に変える
  • 窓が割れても直ちに修復されるようにする
  • 窓を割るより悪いことを窓を割るより実行されにくい状況を作る
……これが「割れ窓理論のことを考える」こと。
http://twitter.com/akof/status/109451599457419264

社会秩序の信頼度を高めることを意識上のものとして、割れ窓理論を考えている人に、「人を居なくする」の解を示す。うまくすれば、笑わせられる。そして、自分のそれまでの狭い視野について改善を試みようとする人も多少は現れることがある。考えているテーマに関して、無意識的な前提となっているところを否定すると、(うまい具合にやれば、)虚をつかれて笑いに繋がることがある。


人の生死に関わる問題に対して、狭量な視点から「ルール」を標榜しようとしている人に、「そのルールは本質的な効果はないのでは?」と指摘すると、憤激し、不謹慎レッテルを貼ろうとするだけで、考え方を変えることはあまりない。しかし「人の生死」から考えの荷重が「ルールの徹底」に移って、「人の生」が無意識的な前提になった時に、「いっぱい殺せばそのルール徹底されるよね」という具合に虚を突くことができると、「笑い」を呼び起こし、そして視点を変える切っ掛けとすることができる場合もある。

「ワシントンD.C.のホワイトハウスの前で『くたばれ、レーガン!』って叫んでも罰せられないのと全く同じように、モスクワの赤の広場の前で 『くたばれ、レーガン!』って叫んでも罰せられません。」
日本の公序良俗とやらで見るとどうなんだろ。あるいは、「割れ窓」なんだろうか。
http://twitter.com/akof/status/3821129052
「くたばれ、レーガン」と効果的に叫んでみようか。レーガン元大統領の警護を要請する業務を強いられたとして、威力業務妨害に問われるだろう。

2012/03/14(水)「真実」と「嘘」の狭間

敬愛するふっしーさん(藤野英人さん)の 「時事通信と共同通信が正反対の「事実」を報道。東電OL殺人事件のDNA鑑定の報道から、マスコミやソーシャルメディアの「情報」との接し方を学ぶ」という記事に、本ブログを紹介いただいた。恐縮しきりだ。

まだブロガーを名乗れるほどのコンテンツはないが、これから充実させていきたいというところ。


さて、本ブログをご紹介いただいた記事の後半に興味深いパズルが掲載されている。一応正面から取り組むと、一例としてこういう思考過程が可能だろうか。

① (仮定Ⅰ)Bが白と仮定する⇒②「 Bのみが白でACDEが赤」が真実⇒③ 赤のACDは嘘を言っているはず⇒④ Aからみて「白が一人で赤が3人だ」は真実でありAは嘘をいっていない⇒⑤ ③④は矛盾しており仮定Ⅰ(B白)は正しくない

①' Bは赤⇒②' ACDEの1人以上が白⇒③' (仮定Ⅱ)Cを白と仮定⇒④' Cの「4人とも赤だ」は真実⇒⑤' Cが白でABDEが赤⇒⑥' Aからみて「白が一人で赤が3人だ」は真実でありAは嘘をいっていない⇒⑦' 真実を言うAは白⇒⑧' ⑤'⑦'は矛盾しており仮定Ⅱ(C白)は正しくない

③'' Cは赤⇒④'' BCが赤なのに「白が3人で赤が1人だ」と言うDは嘘⇒⑤'' (BC)Dは赤⇒⑥''(仮定Ⅲ)Eが赤と仮定⇒⑦'' Aからみて「白が一人で赤が3人だ」は嘘なのでAは赤⇒⑧'' 全員が赤⇒⑨'' Cの「4人とも赤だ」は真実になり、Cは白⇒⑩'' ⑧''⑨''は矛盾しており仮定Ⅲ(E赤)は正しくない

⑥''' Eが白(①'B赤、③''C赤、⑤''D赤)⇒⑦''' Aの「白が一人で赤が3人だ」は真実なのでAは白⇒⑧''' AEが白(本当の事を言う)、BCDが赤(嘘を言う)で与えられた問題内容に矛盾しない

これでふっしーさんのいう、「答えは2のAとEです」に辿り着ける。

しかし、この問題文をよくよく見ると、実は「白の帽子を被っている人は本当の事を言う」という条件は書かれていない。また選択肢に示された人物以外が白の帽子を被ってないとする条件も無い。

そこで、問題文に書かれてはいない暗黙条件を外して改めて考え直してみる。すると答えは一意には定まらず、
  • ACDが白、BEが赤のような場合、「1. A,Cが白」は成立
  • BCが白、ADEが赤のような場合、「3. B,Cが白」は成立
  • BDが白、ACEが赤のような場合、「4. B,Dが白」は成立
  • DEが白、ABCが赤のような場合、「5. D,Eが白」は成立
となると思う。

ふっしーさん(@fu4)の「答えは2のAとEです」は確かに嘘ではない。
が、他には答えがないとも言ってない。

「真実」と「嘘」の間に、多くの「答え」がある。

2012/01/25(水)「全てのM7以上の地震を3日前に予知できる方法」は役立つ地震予報の十分条件か?

こんな地震予知をする人、尾上氏(仮名)がいたとしよう。
尾上氏は、特定の地域、糖嬌(仮名)について、いつも「今年の五月三十五日にM7以上の地震が起きる」といったような具体的な地震情報を明らかにする。そして、過去10年意渡って、糖嬌で実際に起きたM7地震全てについて3日前にその予知を正確に述べていたという実績がある。そして、最終的に予報を外したことは1度もないという。
尾上氏のこの素晴らしい地震予知は、地震防災に役立つだろうか?
尾上氏の地震予知情報はこんな具合に明らかにされる。「今年の五月三十五日にM7以上の地震が起きる」の情報は四月の終わり、あるいはもっと前に、初めて示される。しかし、この予知は確定情報ではないのだ。

「五月三十五日にM7以上地震」の情報が明らかにされた後、五月三十五日が迫ってくるある日ある時、「五月三十五日にM7以上地震」は取り消される事がある。状況が変わったので、五月三十五日には地震は起こらなくなってしまったと。
それでも、五月三十五日の3日前、即ち五月三十二日の段階で尾上氏の地震予知情報がどうなっているかさえ確認すれば良いと考えるかもしれない。しかし、実は、尾上氏の地震予知システムでは3日前に予知は確定してない。どういうことか。
尾上氏は、五月三十四日になって「五月三十五日にM7以上地震」が取り消す事がある。それどころか、五月三十五日当日の24時寸前にだって取り消す事があるのだ。

五月三十五日に実際にM7以上地震が起こってしまった場合には、振り返ってその3日前、すなわち五月三十二日時点での予報がどうだったかを確認してみると、確かにいつも「M7以上地震があるとの予報」になっている。

尾上氏は、多数の地震発生予報を出す。それらの予報を並べてみると、ほぼ毎日地震が起こるかのような予報が出ているのだ。そしてそのほとんど全ての予報はその日が来る前に取り消される。
だからといって尾上氏の予報は、決してインチキだということではない。十分科学的で、そして予報として成り立っている意義有る情報なのだ。

地震が起こると予報しなかった日について、実際に地震は起きてない。地震が起こるとした日についても、早々に予報を取り消した場合にも、地震は起きてない。つまり、地震が起きないことについて、極めて的確に予報している。
ところで、尾上氏はこうした予報を出すに留まらなかった。

尾上氏は、「実際に起きたM7地震全てについて3日前にその予知を正確に述べていたという実績」を挙げながら、地震発生予想日の3日になると、必ず「住民を糖嬌から遠くはなれた場所に避難させななさい」と、自治体や住民にきわめて強く働きかける。

そうした働きかけを受けた当初は、尾上氏の勧告どおり、住民は避難した。が、地震予報は取り消され、そして地震は起こらない、という結果になった。何度か無駄に避難したところで、行政も住民も気付いた。尾上氏の予報と避難勧告は「狼少年」の一形態にしか過ぎないことを。
狼少年の「狼情報」は全てが嘘というわけではない。いつかは本当の情報のことがある。しかし、狼少年の「狼情報」を傾聴しても、それがいつ本当なのかは結局分らないのだ。有用な情報はそこにはない。それと同様、尾上氏の地震予想は科学的に正しいにもかかわらず、やはり有用ではない。
尾上氏の避難勧告は、単なる迷惑行為でしかない。住民達は、尾上氏に、地震予報と避難勧告を住民に向けて発信するのは止めて欲しいと強く申し入れた。

尾上氏は、科学的に正しい情報を発信しているにも関わらず、その情報発信を弾圧されたと怒っているそうだ。

2010/07/28(水)児童ポルノブロッキング新組織への誘い

仮に自分が、多少の功も名も遂げている、つまり、「やりがいのある仕事で実績も上げてるし、そのお陰で食うには困ってない」有識者と呼ばれる人だとしよう。その自分のもとへ、どこの省庁からも独立した「児童ポルノのブロッキング」の新組織を立ち上げるから、参加して欲しいと内閣から依頼が来たら、どうするだろう。

何をどう考えても、その仕事を真面目にやったところで特段の工夫のしどころはなく、成し遂げるべく夢が見いだせるはずもない、ただ国民から胡散臭い目で見られ、批判をあびるだけの仕事である。そんな面倒事を敢えて受けるには、どんな動機がある得るか。

1.児童ポルノ(それに紛う卑猥なモノ)を見るのが実は大好きな場合:児童ポルノブロッキングこの仕事をやっていれば、世界中のありとあらゆる児童ポルノや児童に近い若い成人の猥褻物を毎日大量に、はばかりなく堂々と見れる。

2.他人の不幸は蜜の味の場合:児童ポルノ紛いだがそれを創った本人はそうでないと確信しているものをブロッキングすると、必ず無駄な抵抗をしてジタバタする。そのもがき様を見ると、自分の権力の大きさをしみじみ実感できて生きる喜びに満ち溢れる。下民共、もっともっと苦しめ!

3.思想信条的に弾圧したいコンテンツがある場合:邪教信者が描く「天使」とかいうものは児童に欲情するために創りだしたまがい物で、天使に関わる邪教の全てのコンテンツと、その邪教を国教する蛮国のあらゆる「文化」はこの世から殲滅しなければならないのだ。

4.児童ポルノブロッキングの暴走を食い止める使命を帯びている場合:極めて危険な思想弾圧構造である「児童ポルノブロッキング」を暴走せしめる、あらゆる邪な思想と横車を、命を賭して防げという天啓があった。神の命のもと、我は闘うぞ。

「児童ポルノのブロッキング」の新組織内では、この4種(以上)の種族達が内部覇権を巡って、痴を痴で洗う争いを繰り広げ続けるだろう。

─────このようなことが予想されても、自分はこの仕事を受けなければならないだろうか。正気ならば決して受けはしまい。

2010/07/21(水)a-bike随想 2

危険性:転倒要因は極めて多い

転倒した際の大怪我に至る可能性は、車体特性から若干緩和されている。元々あまり速度は出ない、重心が低い、車体から離れやすい(うまく飛び降りやすい)、車体慣性が小さく凶器になりにくい。

左右の振れに対する復元性は悪く、左右バランスは悪い。慣れても決して手放し運転はしたくないレベルだ。

前輪が段差に引っかかって、後輪が持ち上がってバランスを失う場面は極めて多い。路面を睨みつけて走らないと危険だ。

前輪を故意に持ち上げたり、車体トラブルでない限り、前輪が持ち上がって転倒する場面は稀だ。

ハンドルを大きく切って曲がった際の、タイヤが横滑りし出す限界はそれほど低くはない。前輪が後輪より先に滑りだす場面は多い。

車体伸展時の各部の「留め具」の固定を仕損じていると確実に酷い転倒になる。前の支柱の伸展ストッパーを失敗していると支柱が突然縮んで前宙する。後ろの支柱のストッパーを仕損じていると、後ろに尻もちをつく。前後支柱間の水平バーの真ん中のストッパーが掛かっていなければ、やはり前転する。組み立てた時に確認するポイントは5箇所しかないが、どこか1箇所でも確認を怠ると大怪我に直結している。

耐久性:最悪

致命的なトラブルがよく発生する。個人的に体験したものでも、後輪のベアリング粉砕。フリーの破壊。1次系チェーンの破断。

パンクの頻度は異常に多い。パンクした場合の修理は困難と面倒を極める。自転車店に持って行ってパンク修理を依頼しても、まず間違いなく拒絶される。

2010/07/21(水)a-bike随想 1

a-bikeについてはもう十二分に語り尽されているといってよいので、私が書くことも最早や何も無いのだが、つらつらと書きなぐってみる。

a-bikeのコンセプト

a-bikeのことは、自転車の新境地を切り開いたパイオニアとして、賞賛を惜しまない。そして私はこれを愛用している。が、あまりにも未完成で、とてもじゃないがまともに使えることを微塵も期待できるようなシロモノではない。

普通に「走り」を考えたら、小径車なんて不利な要素ばかりでメリットはない。飯倉清が小径車のことをボロカスに言っているビデオがあがっているが、これを見て私は爆笑した。何もかも当たっているし、反論する余地はどこにも見いだせない。こんな奇形メカを賛美するなんて、確かに旦那やの道楽としか言いようがなかろう。
http://www.youtube.com/watch?v=lhaJP_9F0hs

「走り」という漠然とした評価軸を捨て、日常生活の限定した場面だけを切りだして、その中での機動性という歪な評価軸を採用したときのみ、小径車にはとるに足るものとして映る。そうした歪世界内の話ではあるが、a-bikeは光り輝いている。いや、a-bikeは自らが輝く世界を切りとって見せたといってよいかも知れない。

居場所からから小走りにでも行けるようなちょっと離れた場所まで行く時、あるいは最寄り駅から所用場所まで、そこそこの距離の平地舗装路の移動が必要な時、a-bikeは絶大な「利便性」の威力を発揮する。こんな状況は、漠然と「走り」を想念する場合には、極めて限定的、例外的と言わざるを得ないのだが、都会において日々頻繁にそうした状況の中にいる人々もいる。そうした特定の人々の「利便性」というモノサシを前提にさえすれば、a-bikeは画期的な自転車だ。

この自転車は「収納する⇔持ち運ぶ⇔折り畳み・展開する⇔乗車する」の間で頻々と状態変化するのに特化している。そのために、「走り」と、そしてそれ以上に「メンテナンス性」を惨いばかりに犠牲にしている。

a-bikeのもたらす「利便性」を訴える相手は、本来「一般人」でなければならないのだが、一般人は「走り」が犠牲にされることについて仮に我慢できても、「メンテナンス性」が犠牲にされるのは到底我慢出来ない。このことから、a-bikeは一般人向けを追求しながら、ついに一般人には受け入れ可能なものには仕上げられていない。このことによって、結局は、a-bikeを評価する人々が、わずかなマニアに留めてしまっている。

a-bikeが切り開いた「便利な自転車」の世界は、a-bikeを踏台に今後ますます発展するだろう。だが、a-bikeはパイオニアではあるが、その世界での成功者たりえなかった。

a-bikeの走り

a-bikeの利便性は100%完璧と評して良い。使ってみれば分るし、間違いなく満足を得られる。なので、ここではくだくだ書かない。

乗り心地:悪い

乗り心地はあらゆる面で悪い。確実に慣れることができ、慣れれば気にならなくなる。が、一度跨っただけで断念する人も大勢いる。乗る前から「これは素晴らしい自転車だ」と信じているかどうかが、分かれ目のようだ。

直進性:良い。

極限的に小さな径の車輪を見て、直進性の悪さを心配する人は多いが、直進性は極めて良い。直進性が悪くなるような、荷重のかけ方をする乗車は基本的に「できない」からだ。

操作性:慣れないと、ハンドリング(左右への操作性)はむしろ悪い。

ライディングポジションが後ろにあるのを見て、前かがみになってハンドルに荷重をかけるほどに、操作性は悪くなる。曲がりたいと思ってもハンドルがうまく切れず、ある程度力をいれると突然ハンドルが大きく切れることになる。この「突然曲がる」特性を「直進性の悪さ」と考えて、上体に力がはいるとますます乗りにくくなる。

バイクのスポーツライディングにいう「リアステア」のように、後輪にどっしり乗り、後輪の接地面をヨーの軸のイメージを持つぐらいになると、気持ちの良い操作性が得られる。後ろにどっしり乗ると、前輪がもちあがってひっくり返る心配が頭をよぎるかもしれないが、よほど極端な条件にならない限り、実はひっくり返らない。

制動性:可。悪くない。

一般の自転車の、ブレーキをある程度握るとこれ以上握れなくなる「当たり」があるブレーキ感に慣れていると、ぐにゅんと当たりがないブレーキ感は制動が効いてない不安に駆られるだろう。が、その実ちゃんと効く。日本向けに販売されているものは、JISの制動性基準も満たしており、どう間違っても「制動性が悪い」とは評せない。

a-bikeで乗車したまま登れないような坂を、逆に下るような坂での十分な制動性はさすがにない。それはそもそも無茶な要求だろう。ただ、a-bikeでは、「やばい」と感じた時には、車体の後ろに簡単に飛び降りれて、そして自転車とともに止まれる。万一の時にはこの方法で十分止まれるので、ディスクブレーキのような制動性がないからといって不安がる必要はない。

走破性:決して良くはない。

が、我慢するというほどではなく、そこらのママチャリ程度には走れる。巡航で時速15kmは普通にできる。あまり長い距離の走行は辛く、一般人には連続3kmまでが目処だろう。

小径車を見ると、ペダルをくるくる回さないと走らないのではないかと心配する人は多いようだが、ペダル1回転で3mそこそこ走る。これは一般的なママチャリよりはやや短いものの、そこらの16インチ車でさえこれより走らないモデルもあるぐらいで、決して悪い数字ではない。漕ぎ出し時のバランスの悪さを考えると、これぐらいが適当だと思う。

漕ぎ続けないと走らない。小径車故の、タイヤの回転数の多さや、ブレーキ類の配置のため、摩擦要因は多い。

登板力は貧弱だ。変速機もないし、ペダル周りやフレームの剛性感も十分ではない。5%の坂でも車体に無理をかけてる感がある。坂を駆け下りることに問題はないが、その場合も制動力は十分でないので注意が必要だ。

路面の凹凸には注意が必要だ。少々の段差や、ギャップも、前輪をうまく持ち上げると通れる。前輪を持ち上げる際に肩や肘を使って「ぐい」と持ち上げると、持ち上がりすぎてバランスを失いがちになる。手首のスナップで「くぃ」と軽く持ち上げるぐらいで十分だ。段差を降りる際も無理は禁物だろう。サスペンションがないため衝撃でフレームを痛めかねない。

耐候性:良い。

風の走破性に対する影響は小さい。相対的に一般の自転車よりも、車体の風を受ける面積は小さい。ただ左右のバランスが良い車体ではないので、強い横風を受けた時の不安定感が小さいというわけではない。

雨天時にも「走る、曲がる、止まる」の性能はあまり影響を受けない。ただ、車輪が巻き上げた泥水が駆動系にもろにかかっているので、雨天走行後の注油や掃除のメンテナンスは欠かせない。